ステキな金縛り ネタバレありの感想

三谷作品、5作目の「ステキな金縛り」を鑑賞してきました。
昨日は映画の日ということで、若い人が多く、ほぼ満席状態。
お客さんの期待も大きいようだった。

まず評価から述べると、この作品はかなりバラけてしまうのではないだろうか。
アイディア良し、オチ悪し、セリフのかけ合い良し、構成悪し。
全体的として真ん中という評価になる。
しかしつまらないということは決してない。
ただ、後半は少々だらけてくる。

さてネタバレありで感想を進める。
だが、オチとなるトリック?については避けて述べる。

冒頭、美術品バイヤーの矢部鈴子(竹内結子)が、豪華な屋敷を訪れて、
日野勉(山本耕史)と密会する。二人は不倫関係だ。
そこへ、妻の日野風子(竹内結子-1人2役)が登場し、妹の鈴子と取っ組み合いとなる。
そして、鈴子が転落死する。

主人公で弁護士の宝生エミ(深津絵里)は、かなりドジだ。
弁護する裁判に遅刻をし、とんちんかんな弁護でついに依頼人から弁護を解任される。
ボスの速水悠(阿部寛)から「もう後がない。これ以上、偉大なお父さんの顔に泥を塗ってはいけない」と
最後通告される。
後がない宝生は、冒頭の事件を担当することとなる。
なぜか、鈴子殺しの犯人として捕まっている、鈴子の夫、矢部五郎(KAN)。
彼は、冤罪を主張する。宝生がアリバイを尋ねると、
「その時間は、金縛りにあっていて身動きできなかった」と話す。
こりゃ、ダメだと宝生は信じないのだが、後がないので彼が泊まっていた旅館へ向かう。

矢部五郎が泊まっていた部屋は、しかばね荘の「歯ぎしりの間」。
だが、その隣りに幽霊が出るといういわく付きの部屋、「耳鳴りの間」がある。
もしかしたらと考えた宝生は、その部屋に泊まる。
すると、彼女は金縛りにかかる。身動きがとれない。なにやら人の気配。目は開けられない。
次の瞬間、顔にふっと息がかかる。
宝生は叫んだ。「くっさー!」
飛び起きて、落ち武者を取っ捕まえる。更科六兵衛(西田敏行)はまさか見えてるとは思わず、慌てて逃げる。
なんだかんだと二人の笑いのかけ合いが続き、矢部五郎を金縛りにかけていたことが分かり、証人になってほしいと依頼する。
六兵衛も冤罪の弁護と聞いて、黙ってはいられない。
自分も味方に騙され、無実の罪で打首となっていた。
そして歴史に裏切り者として記述されていることを無念に思い、化けて出ていたのだ。
証人を引き受ける代わりに、自分の無実を証明し、慰霊碑を立ててほしいとして承諾をする。

と、文字に起こすと、これがああで、こうで、あれで、と三谷幸喜の脚本らしく細かい。
そこへ笑いを足すと、もっと細かい。
だが、深津絵里と西田敏行のかけ合いはずっと見ていたいほど楽しかった。
笑いが一番起きたのは、タクシー運転手(生瀬勝久)のところだろう。
とってもずるい笑いだが、素直に爆笑してしまった。

ただぼーっと見ていると、毎シーンごとに起こる笑いで楽しいのだが、
映画はあくまでストーリーである。
このストーリーは3つの柱があると思う。
1つの大きな柱は、この事件を解決すること。そのために幽霊の六兵衛が必要だということ。
2つ目が、事件を通じて、六兵衛の冤罪も解決すること。
3つ目が、宝生が一人前に成長すること。そのためには若くして死んでしまった偉大な父(草彅剛)を超えること。彼女にはそれが大きな壁となっている。

第一幕は、事件のあらましとそれを解決するには、どういう手段があるかという模索の段階なので、コメディーにしやすい。
だが、コメディーの難しさは、中盤の第二幕。
ここが見所なのだが、この作品は第三幕で待っているオチ(謎解き)が弱すぎるので、もたつき始める。

少し唖然としたのが、対立役の検事、小佐野徹(中井貴一)が
幽霊を証人にするなんておかしい、認めないということでずっと争うのだが、
あっさりとアノ事実が判明すると、アレレという方向になってくる。
あのネタは、もっと有効に使えたのではないだろうか。
お固い小佐野検事のキャラが出来上がっていた分、もっと溜めたほうがよかった。
代わりに、宝生のボスの阿部寛をとんちんかんな手ごわい役柄にしてみたら、
宝生・ボス vs 小佐野検事で進められたはずだ。
そういうシーンがあり、面白かったので使えると思う。
そのシーンは、六兵衛が日が照っているので、法廷に立てない。
日没まで待ってほしいという宝生が訴え、小佐野検事が認めないという争いの場面で、満を持してボスが登場する。
何をするかと思うと、急にタップを始める。だいぶ見届けた後、手を広げ終了の合図をするボス。
小佐野検事が手を上げ、「異議アリ!本件とこのタップは何ら関わりがありません」
こういう邪魔を度々して二人が争う。その間に、宝生と六兵衛が苦労しながら事件を解決に持っていく。
みたいなやり方もあったのではないか。

しかし、説明しきれないほど、第二幕は濃い役者が次から次へと登場する。
そのシーンを一つ一つ作るとなると、やはりアノ事実が早々と判明するのはよかったのかな。
と、脚本側に立つと、非常に作品として難しいことがわかる。
新しい役者が登場するたびに、テンポが落ちてしまうのはよくあることなのだ。

と第二幕は、あっちこっちに話が飛ぶので説明しきれないが、
第三幕に突入する。
裁判は終盤。
法廷に、幽霊の被害者が登場し、あっさりと解決する。
オチが悪いと度々ここで繰り返してしまったが、申し訳ないが私は冒頭のシーンでこれしかないと思っていた。
一人二役といった場合は、大抵それしかないからだ。
なので、オチへ近づけば近づくほど、周りの客の笑いも減った。
だから、どこで最後に爆発的な驚きのある笑いが起こるのかと期待していたのだが、
2つ目の柱、3つ目の柱をこなすために、長々と時間が使われてしまった。
コメディーのラストはスパッと終わらせたほうがいい。
3つ目の柱のお涙ちょうだいもいいが、その振りの父との思い出の鼻歌、六兵衛が法廷にいることを証明するためのハーモニカ。
最後はこれで泣かせるのだと、観客にバレていたのではないだろうか。
少なくとも、そう来るだろうなと私は思っていた。
いわば、幽霊で親子の再会ものとして、定番の使い方である。
それが悪いわけではないが、三谷幸喜であれば、新しいアイディアで超えてきて欲しかった。

しかし、いっぱい役者が出てきたが、ダメな役者は誰ひとりいなかった。
本当に面白いかけ合いだと思う。三谷作品らしさは存分に見られた。
それにしてもコメディーは難しいな。
日本の場合は、長いふり、間の取り方が笑いになるので、どうしてもハリウッドのコメディーと違い、疾走感という面で劣る。
そうなると展開も説明的なったりして、長時間になる。観客に笑いが理解出来ないと「?」になってしまうから丁寧に作りたがる。
松本人志作品にもよく見られる傾向だ。ふりが、観客に伝わらなくて、笑いが起きるところで起きない現象が起きる。
これは作品として怖いことだ。

だからコメディー映画の作り手は、上映を90〜100分位を目安にして、ふりをそばに寄せて笑いを畳み掛けるつくりの方がいいのではないか。
最大のオチとして、冒頭の長いふりが泣ける(大笑い・感動)という仕掛けを作ると、日本コメディーは世界に受け入れられる気がする。
まさに落語のつくりが、映画に生きてくると思う。
やはり今回の作品(上映時間142分)も長いと感じてしまった。

 

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