マイ・バック・ページ ネタバレありの感想 映画

マイ・バック・ページを観てきました。
東大安田講堂事件をきっかけに全共闘運動が急激に失速を見せていた、
1969年以降の、新左翼活動家とそれを追うジャーナリストの話。

正直、左翼くずれの話など興味ない。
なので、この映画にも興味はなかった。
だが、歴史として、なぜあんなにも若者が連鎖的にそれも瞬発的に、
熱を帯びたのかを確かめる意味を込めて観たのだが、
全く胸に突き刺さるものがなかった。

いわゆる団塊の世代が、
世界を変えよう、日本を変えよう?
と仲間をリンチしてまで士気を上げて戦ったのはなんだったのか?
そして今、奇しくも時代は、二代連続で団塊の世代の首相が続いている。

それが何をもたらしているのか、
私たちは今、目の当たりにして、
やっぱりそういう事か、とがっかりしている。

つまり、彼らがずっと問われ続けているのは、
「そもそもなにをやりたいんだ?」
ということだ。

理想は語れるが、実行する覚悟はない。
批判はできるが、責任は取らない。
追い込まれると、人のせいにする。
自由の意味を履き違えた、ただのわがまま坊や。
これが、この世代の特徴に思えていたが、
彼らは学生の頃からこの調子なのだろう。

この映画に出てくる、革命家気取りの梅山(松山ケンイチ)は、
まさに菅直人。
ラストに梅山は捕まるのだが、警察にベラベラと仲間を売り、
自分は殺害には関与してない、関係ないと言い逃れる姿は、
この震災後、いや震災前からよく目にした、
菅直人、その姿ではないか。

そして、そんな自己顕示欲の塊みたいな男に騙され、
梅山を思想犯と信じて追った記者、沢田(妻夫木聡)は、
まさにメディアに扇動され、民主党に票を投じた国民、その姿だ。

途中から、これは今の政権批判、メタファーとして、
この映画がわざわざ作られたのかとさえ思えるほど、
なぜこの時期にこんなふざけた話が映画に、と疑問でならなかった。

たしかに腑抜けた世代と言われても仕方ないくらい平凡な私たちのような世代(20代)に、
彼らの当時の運動?活動?をこの映画を通してみせて、
何を感じるのか、熱いものを感じるだろうとでも言わせたかったのか。

とてもじゃないが、苦笑の連続だ。

この映画を一行で語れといえば、
「嘘つきのあほんだらな男に、センチメンタルで同情的な記者が騙された話」だった。
誰にも感情移入できない、あほらしい話でした。

だからといって、映画の評価が低いという意味ではない。
よくこのどうでもいい男の話をここまで持ってきたという意味で、
よくがんばったと言わざる得ない。
おそらくスタッフは、当時の熱を知らない人なので、
かなり冷めた感じ(客観的)で撮っている。
それが救いだ。
若者よ、立ち上がれ!みたいに作ってたらどうしようかと思ったが、
それがなかったのでよかった。

左翼くずれの梅山をこの映画は、
冒頭で、仲間に「そもそも君は何をしたいんだ?」と問われ、
もごもごと答えられない姿を見せ、
彼らと意見が違えば、この教室から出て行け!と怒鳴る姿を見せ、
都合が悪くなると、逃げる姿を見せ、
声だけはでかくて、いざ実行となると、仲間の背後に隠れる臆病さを見せ、
警察に捕まるとべらべらとあることないこと自供する滑稽な姿を見せた。
こういう面をしっかりと、まだ根強くいる左翼くずれは自分と重ねて、反省した方がいい。

この映画で何度もいろんな人に梅山は問われる。
「君らが目指したものってなんだったの?」
一度も答えれない。
それが答え。

変えられなかったのではない、
変えるだけの正義や思想もなければ、覚悟も志もなかった。

だた欲望だけはあった。

単純に、自分の思い通りのわがままな世界にしたかっただけ。
これは、近年見る、無差別テロをする若者と同じに見える。
誰でもよかった。一人では死ねない。だから人を巻き込む。
大きな声を出せば、目立つ。
大きな事件を起こせば、自分が本物になれる。
自分勝手な感情で人を傷つける。

映画の中でも、梅山は「俺を本物にしてくれ!」と
仲間に殺人の実行をさせる。
自分の手は汚さずに、だ。

とにかく、こんな調子で梅山が何をしたいのかさっぱりわからないので、
感情移入もできなければ、これといった熱も感じない映画でした。

ただし、役者陣は素晴らしい演技だったと思います。
特に妻夫木さんと忽那汐里さん、よかったと思う。
忽那汐里さん、(なんて読むんだ?)彼女の役は魅力的に描けてた。
表現があっているかわからないが、
「強さはない。だが、脆さもない女」として当時の匂いのする女性でした。

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