心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」

心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」
名越康文 /著

を読みました。

一言でいうと、心がフッと軽くなるには、人間は日々の努力と工夫が必要だということです。

ここからは、本の内容に触れながら私が考える現代人について書きますので、
著書を読まれる方は、飛ばしてください。

なぜ現代人は疲弊し、自殺に追い込まれるまで仕事し、生きることを諦めてしまうのか。
そのことについて著者はこのように語っている。

『正直なところ、僕たちは「割に合わない人生を歩んでいる」と、どこかで思っているんじゃないかなと。「人生は100苦労して、報われるのは2~3くらい。そんなものだ」と。だけどそれは、もしかすると自分を諦めさせながら生きているだけなのかもしれない。』

『なぜ今の日本人はこんなにピリピリしているのだろうか。それはやっぱり、本当の問題は根っこにある。僕たちは「根本的な生き方をどこかで見失っているからだ」という気がするんですね。』

『日本社会に合理主義が全面導入される前、つまり戦前の日本では、自然な形で宗教性が民衆の間に浸透していたと思うんですよ。経典のような難しい宗教の規範が人を引っ張っていったのではなく、それをちゃんと噛み砕いて理解して、完璧にとはいかなくても、ある程度の自分の日常として実践していた人、あるいはもっと地域の気風や生まれた家の伝統や家風に根ざした、生きる上での気骨のようなものをしっかり受け継いでいる頼りになる人物がおそらく随所にいた。言わば、「徳のある人」。競争で少しでも得してやれ、っていう現世的価値とは違う心の問題、ある意味ワンランク上の価値観を語る「徳のある人」。人生の模範を示すことができるゆえに、”生き字引”のような人が、地域ごとにある程度存在されていたんだと思うです。かつての日本社会には、全体の調和をさせるものとして存在していたのではないかと。』

『「小さい範囲での合理主義に縛られ、効率を一番に考える損得勘定」で生きているから、自分のペースで、自分の考え方を深めていくということができる余裕がない。それ以上に、どのように自分の内側で物事を咀嚼して深めていくのかということ自体、だんだん分からなくなってきているんではないかという気がします。』

つまり、自分を見つめる孤独な時間を現代人は持たない。あるいは、持たないように避けている。
以前誰かに聞いた言葉ですが、「孤独は人を賢者にする」と言ってました。


この孤独な時間が今の人は少ないのではないだろうか、と私は感じる。
そして、システマチックに生きることが当たり前で、
心が憂鬱なまま朝を迎え、皆と同じように行動をし、こんなものかと諦めている。
たとえ、著者の言う「徳のある人」に出会っても見逃してしまう。
なぜなら、合理的、成果的、結果的に人を分別しているから、そこに当てはまらないと聞く耳を持たない。
なのに対価を払った占い師の言葉はすんなり受け入れる。
自分は苦労していると思い込んでいるから、逆に安易な言葉に騙されやすい。
現代人が疲弊しているのは苦労しているからではない、と私は思う。
安易な方に流れているから、辛さが伴うのだと感じる。
あと戦後教育の精神的教育をおろそかにした結果が、この日本の弱体化、人との間の歪みが生じてしまった原因だと思う。

『もし小さな「損得勘定」に自分が囚われないで生きることができたら、その分無駄な精神エネルギーを使わないから疲れなくなるし、心に余裕や落ち着きが出てくる。自分の心の安定が得られると、余剰として生まれてくるのはおそらく他人への受容力です。そうして、自分も他人も自然に安心へと導ける人は、言わば現代社会における「徳のある人」の道に近づいているんじゃないでしょうか。「徳のある人」は皆が求める存在ですから、その域に自分を高めることで、ここからは価値観の問題ですが、広い意味で人生が成功の方向に傾いていくのではないでしょうか。』

小さな損得勘定に囚われないで生きること、この部分が大事です。
今、マスコミも一般の視聴者も異常なほど、自分はさておき、他人に厳しい。
他人への受容力など持ち合わせていない。
右へ傾けば、一斉に右へ。左に傾けば、一斉に左へ。
これが日本人精神の危険なところ。
すべてシステマチックに生きている。
物事を一辺倒にしか見れなくなる。
なぜなのか、視野が狭いからだ。
社会のスピードの流れもそうだが、自分自身の見聞を高める努力を怠って、誰かの知識を借りて人を責める。
その軟弱な凶器こそ、社会の闇のような気がしてならない。

もう少しこの本をもとに、現代人について書きますので、2回に分けます。

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