加害者家族、書評

加害者家族 著/鈴木 伸元を読んでみました。

大変興味深い本でした。

たしかに一般的に、加害者はもちろんのこと、
加害者家族に対しても、世間は辛辣な言葉を浴びせ、強い怒りの感情を抱く。
その正義の代弁者を気取るマスコミにはたびたび行き過ぎ感があり、
見ているこちらは嫌気が差し、辟易して、しらける時もあるが、
それでも加害者を含めた加害者家族に対して白い目で見てしまうことは、世の常である。
その視線をやめよ!とは、この本では言っていないとは思うが、
少なくともどういう環境に彼らが追い込まれていくのか、
世間も知るべきではないかと呼びかけていると思う。

多少、著者のイデオロギー的な部分に違和感があるのは否めないが、
少なくとも加害者家族について、知らないより知っておくとよい。
いつ、自分がその目に遭うか分からないからだ。

もちろん被害者家族に対しても、
今まで以上に配慮が必要だと私は思う。
マスコミは、少年、少女の被害者の写真をバンバン出す一方、
少年事件の加害者は、一切出さない。
被害者家族をこれ見よがしに映し出し、二次被害、三次被害を受け、
さらには司法による壁にぶつかり苦悩し、
あるいは死刑廃止論者などによるキャンペーンで、加害者にも人権があると、
極刑を望む被害者家族が逆に非難にさらされる場面を見ると、
まったく人間とは、他人事に対しては、図々しく、傲慢で、無責任で、
優しさの意味を履き違えた薄情なものだと感じる。

私の個人的な意見として、
たとえどんなことがあっても人を殺してはいけないと考えている。
当たり前のことだ。
それを拡大解釈して、死刑廃止論者とはならない。
私の持論は、
誰かを殺す覚悟があるのなら、自分の死をも覚悟すべき、だ。
誰かの命を奪って、のうのうと生きられるほど、私は強い心の持ち主ではない。
一生背負うものとしては、大きすぎる。
つまり無責任ではいられない。

私は、ある男性の怒りの表情を思い出す。
光市母子殺害事件の被害者家族である彼の言葉の重みは、私の深い所ですとんと落ちる。
「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」
これは感情だ。私は品格の高い彼がやるとは思わない。
見ていた人もそうは思わなかっただろう。
彼が言いたいのは、その辛い思い、積年の怒りと恨みを和らげてくれるのは、
司法しかないのだ。
公平な裁きなどないかもしれない。
しかし、行き場のない感情を和らげることができるのは、
司法しか頼れる所はない、なんとかしてくれ、という悲痛な叫びだ。

実際の所、殺害された被害者家族には何もすることができない。
というより、求める方が少し様子がおかしい。
しかし、加害者、あるいは加害者家族にはすることがある。
被害者を生き返らすことはできないが、
加害者と加害者家族にはしなければいけないことがあると思う。
それはなんだと言われても、私には分からない。
見つけるのは、加害者であり、加害者家族なのだと思う。

この本を読み、確かに加害者家族の辛さも理解できる。

第一章で、ある事例(夫が殺人事件を起こした)があり、
それを加害者家族である、妻の心情や環境の変化を追っている。
簡単に時系列で見てみることにする。

1、何の前触れもなく、ある日警察からの連絡で、夫が任意の取り調べに
2、夫は何も語らず、だが妻は夫に疑念を募らせ、情報を集めだす。そして確信
3、夫が逮捕。報道発表、警察からマスコミ対策として自宅を離れることを勧められる
4、信頼できる友人に子供を預ける。妻も会社に助けを借り、自宅には戻らない
5、自宅を取り囲むマスコミのため帰れない。マスコミ攻勢で近隣住民が怒り狂う
6、夫の事件について、妻は知らないため、記者に尋ねられても分からない。
次第に、夫が殺人なんて、と信じられないという感情に
7、殺害動機が夫の金銭トラブルだと知り自責の念。
だが一方で、被害者には悪いが、夫の犯した罪なのだから
私には関係ないという気持ちも半分抱く
8、続く誹謗中傷、子供に危害があるのではという不安。
ネットによる加害者家族に対する殺害予告、個人情報流出の恐れ
9、弁護士を探しに苦慮、子供の転校先の難航、子供には言えない、
理由も分からず友達を失う子供の犠牲
10、子供が転校しても不安、離婚し苗字を変えても恐怖心、人が怖い
11、誰にもバレたくない、誰かを巻き込みたくない
(先述の信頼できる友人はその夫になぜ協力するのかと責め立てられ、精神疾患の末に離婚した)
加害者家族は誰にも頼れず、語らず、次第に社会から孤立していく
12、夫に対する憤り
塀の中にいる人間は守られているので呑気なものだ。
また一緒に暮らしたいと聞き、誰のせいでこんなに苦しんでいるのかとの強い憤り。
一方で真相の知らない子供は、父親に嫌悪感すらなく、一緒に暮らしたいと言う不満。
13、金銭的な生活苦
唯一の資産である人殺しの家は買い手がつかず、子供には辛い思い

到底、一般の人には知り得ないジェットコースターのような出来事なのだろう。
大変だなー、気の毒だなーと確かに思う。
しかし、これは被害者家族も同じなのではないか。
突然起きた事件に対して、このようなことになるのは同じではないかと思う。
だからと言って、やはり加害者家族を擁護するな!とはならない。

上の時系列でいうところ、11番目、社会から孤立させるところに原因がある。
それは著者も指摘し、日本は遅れていると述べている。
ここのサポートがないから、おそらく加害者家族は、被害者家族に対して、
次第に無責任になるとまでは言わないが、罪悪感の薄れ、
あるいは加害者と自分との乖離などが起きてしまうのではないか。
日々の現実に追われ、事件を切り離し、忘れることは加害者家族も嫌なことだろうが、
なにより被害者家族に対して、大変失礼なのだ。

だから日本はそういった観点から、被害者家族のために、
加害者家族をサポートする必要性がある。と私なら言う。

が、どうも著者のイデオロギーなのか、なんなのか、
人の言葉(ジャーナリスト下村健一)を引用し、
アメリカ社会では、加害者家族に対して、
非難する手紙より、応援する手紙が多い、これは日本と比べて、
「民度といえばいいのか、犯罪や個人に対しての意識の持ち方が
(日本とアメリカでは)まったく違う」
また作家、森達也の言葉も使い、
「問われるべきは僕ら一人ひとりなのです」
と妙な着地点にした。

これも一つの見解だろうが、犯罪大国のアメリカに、
我々日本の民度が低いとは到底思えない。
本来、犯罪が少ない、しないことを褒められるべき(当たり前のなのだが)なのに、
犯罪を犯してもなお許すことが大切なんてのは、お門違いにも甚だしい。
本気で、アメリカ国民一人ひとりからわき起こってると考えているとしたら、
どうしようもない無知だ。
その裏には、キリスト教があり、普及活動があり、不幸事にはいろんな利権もついて回る。

どの外国人だって日本に来て驚くことがある。
それは自動販売機だ。
東京では百歩も歩かない感覚で、むき出しの自販機がある。
これこそ安全大国の象徴ともいえる。
そんな国が民度が低い。ちゃんちゃらおかしいのである。

と、結果的に中盤から私も感情的に読んでしまったが、
さっきも述べたが、被害者家族のために、加害者家族をサポートすることが重要で、
著者らが考えるように、民度の低い日本人一人ひとりが行いを改めよ、なのではなく、
当事者が向き合う環境づくりが必要なんだと思う。
人がどう思おうと勝手である。非難するのも応援するのも勝手だ。
ただ、正義の欠片もない、今の短絡的に過熱するだけの報道は悪だし、
それに煽られるのもよくない。

被害者家族に大切なのは、事件の真実であり、
加害者家族に大切なのは、事件に向き合う誠実さであると思う。
また、事件を起こさない社会や地域、環境づくりをどうするかが私たちに突きつけられている今後の課題で、
それは被害者家族に向かうことが大切だともう一度言っておく。

また是非、下記の「心にナイフをしのばせて」も読んでほしい。
これは被害者家族が、事件によって崩壊していく、
悲惨な30年の生活を我々に教えてくれる。
加害者、または加害者家族の無責任さ、彼らの自己保身が先行したため、
被害者家族は真実を知らぬまま、時が経ち、さらに傷ついていく。
謝罪という場が与えられないまま、加害者は司法に守られ、社会復帰する。

2004年度で、日本政府が犯罪加害者の更正にかける支出は、年間466億円
に対して、被害者のための予算は年間11億円である。
これをどう捉えればいいのか。

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